愛を教えてくれる救世主
「毎日の暮らしの中に、愛するものがある」と言い切れる暮らしってなんだか素敵ですね。
今日は我が家にやってきたウサギが愛を教えてくれる救世主となった、ほんわかエピソードをお話したいとおもいます。
ウサギは面倒?ウサギは救世主?
我が家には認知症がはじまった父がいます。
もともと父は自分に注目をしてほしい欲求が強い傾向があり
認知症が始まってからは、よりその傾向が強まりました。
そんな父を笑って受け止められるときもあれば
自分に余裕がないと、イライラしてしてとげのある言葉で傷つけて
優しくいれらない自分に凹んだりします。
父のお世話で疲れている母がよく言いいました。
「この生活にペットを飼う、動物のお世話するなんて考えられない…。
もう自分のお世話もめんどう…。」
そんなあるとき、親戚が長期の旅行に出かけることになり
その家で飼っているペットのウサギを旅行の間だけ預かることになりました。
私は子供のころにウサギを飼っていて、
ウサギは大好きなので大喜びで引き受けさせてもらいました。
母の方は少し心配していました。
父の面倒をみている上に、ウサギのお世話をしたら大変になるかも?
空気が汚れてぜんそくが出るかも…。
家がおしっこ臭くなるかも…。
かじられて家具が傷つくかも…。
ところがところが
一番喜んでいたのは私でなく、母だったかもしれません。
最終日には「ウサギなら飼ってもいいかもね~」そう言うまでになっていました。
ウサギの存在そのものがギフトだった
ウサギがいることで、父と母に笑顔が増えたのでした。
もちろん私もウサギの可愛さに癒されてご機嫌でした。
ゲージからウサギを出すと、あちこちにウンチや臭いおしっこをしたり
家具や柱をかじったり…想像どうりでした。
でもそれは全く苦になりませんでした。
お世話をすることが楽しくて
いたずらもするけど、それがまた想像以上に可愛くて、
家族の中心になり、愛されるマスコット的な存在になったのでした。
ただ存在するだけで癒される。
自分の心にある優しい愛を感じさせてくれました。
誰かをおもう慈しむ環境が人を癒す
ある日、父がソファーに座ってウサギを眺めていました。
父の自分をかまってほしい欲求が弱まり
目を細めて優しい顔で、ウサギを穏やかに見てるのです。
その目はとても優しい良い表情でした。
そんな表情をする父の顔を忘れてしまっていました。
その父の変化をみて母は喜んでいました。
誰かを愛するって、何かを慈しむ心は、
人の心を癒すのだと客観的にみてて実感させられました。
ウサギは弱くて小さいお世話をする対象とみていたのが
ウサギは愛させてくれる存在
私たち家族の愛する心の扉を開いてくれる
救世主だったとわかりました。
ウサギは我が家にしばらく滞在してくれました。
お世話をするのは、手がかかるから大変どころか
我が家にとっても素敵なあったかい時間をプレゼントしてくれました。
愛させてくれてありがとう
お世話をするのが楽しい。
手がかかるからこそ愛着が増すって
こういうことだと思い出す時間を味わうことができました。
父のこともそのように思えたらいいのですが…。
でも父がウサギに対してとても優しい顔をした
その瞬間の表情をみて私の心が嬉しい気持ちになれたことが
私の父への愛情なのだと、気づくこともできました。
世話をすることは厄介で面倒なことととらえてしまうか
世話をやかせてもらう、面倒をみさせてもらう
愛を注ぐ対象があって心が豊かになる幸せなこととみるか
「ウサギさん、愛させてくれて
愛を教えてくれてありがとう。」
愛する対象がたくさんあるほど豊かな人生になりそうですね。
(こちらは「恋と仕事の心理学」のブログに私が投稿した内容をご紹介しております。)