①母子癒着でお悩みの方へ

自分自身の心と繋がりたい、幸せや安心感を感じられる生き方をしたい方をサポートする心理カウンセラーの美吉風香です。「母子癒着」をテーマに、シリーズでブログを書いていこうと思います。まずは今日は第一弾です。

私が母子癒着と向き合い、母や父との関係が改善されていった体験談を聞いて、このテーマで長年悩んでいる方から「一筋の希望が差した感じました。」という嬉しい言葉をいただきました。

そして、昔の私と同じように母子癒着で悩んでいる方のお役に立てたらと思い、母子癒着との葛藤を私はどうやって越えていったかについての私の実体験を元に、シリーズにしてブログを書こうと思い立ちました。

私の母子癒着エピソード

私が母子癒着だった分かりやすい例を2つ、簡単にご紹介しますね。

◆例1)私が大学の進学先を決める時でした。「将来は心理学部に進んで、心理カウンセラーになりたい!」と母親に勇気を出して打ち明けると、「お母さんはね、あなたはとても心が繊細だから、人の悩みを引き受けすぎて悩みすぎて潰れると思うの。あなたには向いてないと思うわ…」という返事が返ってきました。

私はその言葉で「自分はカウンセラーに向いてないのだ」と思い、とても憧れていたカウンセラーになる夢を諦め、母が賛成する(国家資格があって安定した仕事につけそうな)管理栄養士になるための学部へと選びなおしました。

◆例2)私が高校を卒業しておしゃれに目覚めた時です。ピアスをしようと思い、耳に穴をあけることを実家に暮らす母親に相談しました。「お母さんは、自分の身体に傷をつけるようなピアスは嫌いよ」という返事が返ってきました。

私は耳たぶに穴を開ける気まんまんだったのに、母の言葉一つで「ピアスはよくない、ピアスは止めよう…」と即座に決めました。

今となってはカウンセラーにもなっているし、私の耳にピアスの穴も開いてます。ピアスなんて、今となってはどうでもいい事ですが、カウンセラーになることは結構大事な人生の決断でした。

多くの人生経験を積んだ今だからこそ、カウンセラーになるのにはこのタイミングがベストだったと思うのです。しかし、私は当たり前に自分の意思で自分のことを決められる人にもっと早くに気づいて変わりたかったと思いました。

私の母親は決して意地悪ではありません。むしろ優しくて愛情深く、しっかり者のよい人です。

しかし、私が自分よりも母の価値観を優先してしまい、自分が本当にどうしたいのかを見つめられない、自分の意志で物事を決断できないことが問題でした。

私は心理学を学ぶまで、自分よりも母の価値観を優先していることで、母親に対して当時の子供の心で自分が我慢をして怒りを抱いている事に気付いていませんでした。

自分の我慢して譲った気持ちに気づいてほしい。この我慢強さや気遣いを素晴らしいと承認してほしいと心の奥で願っている気持ちに気づきました。

「わかってほしい」「承認してほしい」とおもう欲求は心理的に依存の位置にあたります。

子供が親にわかって欲しいと願う事は、心の成長の中でごく自然な当たり前のことです。
けれども大人になってもその欲求を(隠していても、もしくは気づかずに)持ち続けていては不具合が色々とおきやすくなります。

私の場合は、私のわかって欲しいという欲求が母から満たされない感覚から、元夫などのパートナーの位置にある人に過剰な欲求となって吹き出すことに繋がってしまっていました。

「貴方なら、言わないでも解ってくれるよね!」って。
なので母子癒着は癒していくとよいというお話に繋がっていくのです。

次回のブログ②では、なぜ自分が母親に対して怒っていたことに気づいたのかを詳しくお話ししていきますね。

 

母子癒着の私からみた世界

私達はみんな、どんな人も
お母さんのお腹にいるときは
お母さんの身体の一部になっていた
お母さんと一心同体だった私達

心の拠り所として、自分の帰れる基地であってほしい
お母さんにしっかり受け入れてもらいたい
私はそんな思いをずっと手放せず苦しんだ

私は大人になっても、母からの愛が欲しいのに
自分の正しさを主張してぶつかり
私のことをわかってくれない
私を承認してくれない母は間違っていると怒っていました

そして私は、母から愛されていないと感じ
自分は生きてる価値や意味がないというような
大きな勘違いをしてしまったようでした

私は空気のようなふわふわした存在
空気みたいにいてもいなくても同じ
どこにいても、なんだかいないみたい
自分って何なのだろう

小学2年生の休み時間に
友達と校庭で遊んでいる時に、こんなことをふと思ったのを
何故だか鮮明に覚えています

なんでこんなことを考えるんだろうと
とても切なくて怖い気分になり
感情を抑圧して、心を無にしていったような気がします

きっと母と子供の私はぴったり側にいるけれど、母の愛情は感じられなかったのだと思います。

私という人間の根っことなる母親からの愛を感じることができなくて、自分が愛されるべき素晴らしい存在だとは思えず、いてもいなくても同じ空気みたいな存在に自分を感じてしまったようです。

8歳くらいの女の子の私が、「お母さんを助けなきゃ!!」と必死で背負っている感覚をもっていることに気づきました。
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私がどうやって母子癒着を抜けたのか

簡単に書くと、母を弱い人として下に見てしまっている(親と子の位置が逆転してる感覚)からこそ、守られてる安心感も感じられずに不満を抱いていたということになります。

自分の感情を抑圧して我慢させている、母への怒りと、わかって欲しい承認欲求とに挟まれ、苦しんでいたのです。

私は母を助けようとして背負うのを止めて、背中から降ろしました。そして、母との間に境界線を引くことができたからこそ、母を尊敬することもできました。

母を背負うのを止めたことは、私の心に平和な感覚、安心感を生み出しました。

今、私と母との関係には、見違えるほどに大きな変化が起きています。

母と意見が違っていても、自分の意見を普通に母に伝えられます。母も私を頼ってくるけれど、自分が無理な時には“NO”も軽く言いえます。助けたいときには、気持ちよく年老いた母をサポートできます。
そして誰かを助けたい病がなくなりました。

わたしは私
母は私ではない
母は母で別の人間である

今では当たり前に感じる、こんな当たり前のことが理解できなくて、長い間本当に苦しみました。

母子癒着の問題は、とても難しいと言われるものです。「100%完全に越えることは、みんな死ぬまでないのかもしれない」とも言われる母子癒着でもありますが、私がもがいて歩んできた分、ちょっと前進できた道のりが「誰かに希望を届けられるなら」と思い、書いていきますね。

過去の私と同じように母子癒着で悩み苦しんでいる方に、少しでもお役に立つことを伝えていくことが、私のあの苦難ばかりだった人生を活かせることになると思っています。

母子癒着でお悩みの方へシリーズ②を、またお楽しみに。

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