②誰かに自分を見せていく、いい人の仮面をとる
こんにちはカウンセリングサービスの美吉風香です。
誰かに自分を見せていくことは、人を頼るというなんだというお話しを2回に分けてしたいと思います。
それは、一人で何とかしようとしていたやり方をやめる事、自分では愛せない部分を誰かに愛してもらう体験をするとも言えます。
今回は私の例をつかって具体的に説明させていただきます。
私は子供の頃から「お父さんを助けられないダメな子供」という思いが心の奥にあったので、罪悪感を持っていました。
でも、そんなダメな自分を感じるのはしんどくて耐えられないので、そのマイナスの埋め合わせをするために、いい子供を演じてきたのです。それは大人になっても続きました。
こんなふうに罪悪感などにたいして、埋め合わをせする行為のことを補償行為と言います。
私はいい子をしていた目的が誰かを愛したいからではなく、誰かに承認されたくて愛されてたいからしていました。そして誰かに親切にして忙しくして、自分の本当に感じている気持ちから目をそらすために、いい人の仮面を偽っていました。(もちろん優しくしたい愛したい気持ちもあったのですが、どこからか目的がずれてしまっていたようです。)
私はそのせいで、自覚はなくても心の底では「自分は偽者」という風に自分を分かってたようです。
この「自分は偽者」と感じてるのを、私は周りの人に重ねて見て投影をしていました。
「投影」は私達の考えてること感じてることを外の世界に映し出して見ているという考え方です。
「投影」は私達の考えてること感じてることを外の世界に映し出して見ているという考え方です。
自分が偽物だから、自分が誰かにあげる愛も偽物と感じていた。
自分があげてる愛も偽物と思っているから、相手がくれる与えてくれる愛も優しさも、偽りに違いないと無意識に感じてしまい、私は誰にも愛されていないんだと思い込んでしまったようです…。
だからこそ、私達は「いい人の仮面」をとることが必要になってきます。
感情の一番下にある、寂しさや痛みなどのわかってほしい感情を、自分で認めてあげる勇気をもつイメージが必要になります。
それは心理学では、「痛みに入れる強さ」とも言われます。
弱さを人にみせられるというのは、実は心理学的にいうと心が強い人と言う事を教わりました。自分の感情や痛みをみていく時、泣いてしまう自分をどうしても、「弱い」「情けない」「誰かに迷惑をかける」が常につきまとい、感情を感じていくのを邪魔をしていましたが、この事を知ってから私は変わっていきやすくなりました。
弱さをみせること、それはとても無力で弱くなっていくようで怖い気もしましたが、癒されるというなら、何でもやっているという意気込みで自分の弱さの開示にチャレンジをするようになりました。
助けてくださいという無力な自分を認めて、助けを求めて受け入れてくれる人を必死で探しました。
それはカウンセラーから始まり、しだいに友達にも頼れるようにまで変わっていきました。
いつからか、解ってもらいたかったあの子供の頃からの痛み、辛かった子供の頃の寂しさの量は格段に減っていくようになり、今は私がカウンセラーをする側になりました。
「いい人の仮面」を作らなくてよくなっていくほどに、そのままの自分でいいって思えるようになり、あれほど枯渇していた欲しかった平和な感覚や安心感は、私の中にいつのまにか大きく育っています。
私の中にポカポカとした太陽のぬくもりのよう、自分の安心感が自分を守ってくれるようになったのです。