愛されていたという真実
自分自身の心と繋がりたい、幸せや安心感を感じられる生き方をしたい方をサポートする心理カウンセラーの美吉風香です。
先日、母と久しぶりに京都の下賀茂神社にお参りにいきましたここは皆さんもご存じの世界文化遺産であるのですが、元気がない時やしんどい時にここの“糺の森”を歩いてると不思議と清々しく気分も晴れてくるのでお勧めです。
私だけは愛されていないと思っていた
私には兄と妹がいるのですが、私だけなんだか母に愛されて無いかも?とずっと疑っていたのですが、実は愛されていたんだと気付いた、誤解をといて母と繋がれたお話をしたいと思います。
二十歳の頃に私は素敵な恋人とお別れをしました。それも私が段々と私が彼を疎ましく感じるようになり…。自分はなんという贅沢をしてるんだと解っておきながら、好きになれないと、自分から離れていきました。
今ならわかりますが、親密感を感じるのが怖かった。愛されるのが怖かったのです…。自分を良くないものだと感じているから、隠しているダメな自分が相手にバレてしまうのが怖くなっていた。幸せが手に入りそうになると自ら壊していたのです。なんという馬鹿なお話なんでしょう
そんな時に毎晩毎晩苦しくて、気が狂いそうな寂しさが吹き上げてきました。大学をちょっと休んで実家に帰って家族の顔をみたいとおもい、勇気を出して母に電話で相談したのですが、母は少し困ったように、でもはっきりと言い切りました。
「強くなりなさい。人は誰でも寂しい孤独なものなのよ。あなたも一人で頑張りなさい。」と…
このとき、私は母に見捨てられたと感じました。私はこの寂しさを一人で背負って生きていくのだ。
「私が周りの人より寂しがりで弱いのがいけないのだな。強くならなきゃ、寂しいとか言ってはいけないのだ!」と弱い自分を恥じて自分をつよく責めるようになりました。
「私は母に愛されていないのではないか?」という思いを確信にしてしまったのでした。これは誤解だったのですが、そのせいで何十年も母の愛を求め彷徨うようになってしまった私でした。そして誤解から私は過食症がひどくエスカレートしていったのでした。
あれは誤解だったのかもしれない
私はその話は初耳だったのでした。
そして心理学を学んでいく中で気づけたのでした。
もしかしたら母は私がその荒れてる父親のもとへ娘が帰ってきたらもっと苦しむと身を案じて、私を守るために帰ってくるなといったのではないか?と。心配をかけるから実家での大変な事実を言わないで隠していたんだと…。
母の目に浮かんだ涙
家に帰りたいと助けを求めた私をおかあさんは見捨てた!!とこのセリフを何度も何度も恨みつらみを母にぶつけては喧嘩を繰り返してきた、私の依存時代の恥ずかしいお話です。
しかしこの日は私はこう言いました。
「お母さん、私はずっと、本当の気持ちが言えなかっただけ。」
「あの時私はお母さんに見捨てられたと思ってしまったけど、本当はお母さんは私をお父さんから守ってくれたんだよね。ようやく心理学のおかげで気が付けて、私はお母さんに愛されてたんだと、すっごい時間かかったけどわかったの。ごめんね~」と言いました。(このごろはカウンセラー業のおかげで私は照れくささを超えれるようになっていました)
しかし話してると母の目に涙がうっすら浮かんでいるのがみえて、私も胸がいっぱいになりました。
母が小さな声で「ごめんね」と言ってくれました。
私も突然ぐっとこみあげて、涙がおもわずでました。そして互いに見つめ合って言葉にできない愛を感じ、長年の誤解を解いたのでした。そして母から一緒に神社にでもいこうよと誘ってくれたのでした。
あの事件で恨みを持ち、ちゃんと「ごめんね」といったこともなく、言われたこともない、触れたくない辛いトラウマな事件でしたが、やっと口にだして話せて繋がれた幸せな朝でした。
誰かにこうやって守られていたのかもしれません。
私達は誰かにずっと愛されていたのかもしれません。
そんな気付けなかった愛がみつけられるといいですね。
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最初に話した下賀茂神社は干支ごとに神さまが祭られているのですが、私と母は大切な親戚中の干支を覚えていて、それぞれの干支の神様のもとを周り一人一人のことを祈ります。誰かの幸せをいのることはやっぱり自分の心が晴れやかになりますね~。心理学の言ってるとうりでした。家族のために祈ってる母の姿を横目に「美しいな~」としみじみと感じました
神社の帰り道に立ち寄った、糺の森の中にあるお茶屋さん“さるや”に入り黒蜜のかき氷を食べました。グリーンティも氷室のこおりというとても美味しい氷でびっくり感激しました!!来られた際は、めちゃめちゃ美味しいので食べてみてくださいね。(^_-)-☆