受け取ることの難しさ(母編)
母からの愛を受け取る、衝撃的な嬉しいできごとが数日前にありました。
母と私の関係は、長い間ひどい母子癒着状態でした。私が幼い頃から母のことを弱い可哀そうな人だと思い込んでしまい、私が母を助けようとしたことから始まっていました。
それはやがて、無意識に私は自分の正しさを証明しようとしてしまい、母のやり方は間違っているといわんばかりに母を助けようとして母と競争して心の距離を生み出していました。
私の癒やしが進むにつれて、母に父のことは任せていいと思えるまでになり、楽な状態になっていましたが、今年にはいり父の認知症がきっかけで私は両親とまたも近づき向き合うこととなりました。
もういい加減、両親の問題は卒業して軽やかに対処したい私でしたが…。
母と私は父の認知症のことで、互いに頑張っているを証明して争うような口論をしました。しかし、私は“母を信頼する”、“母に任せる”、がまだどこか苦しい自分に気付かされました。以前ならばここで自分の罪悪感に浸り込んで、泥沼の底に沈んでいっただけの自分だったと思います。
今は自分の問題だと気づけたので、自分の未熟さを認めました。
このときは、私自身のこれまでまだ見ることができなかった部分、心の奥深くにまだ持っていた不安や恐れと向き合いました。
昔の私なら早い時点で、我慢して自分の心に嘘を言い、謝罪をしてなんとなくその場を丸く収めるやり方をしました。それはパートナーや様々な人間関係でも同様でした。
そして、その日の母と私は、昔とは別人のように違っていました。
その時はとことんむきあって話し合いました。
生きてる間に母と本気で繋がれるチャンスは一度か二度あるかないか?ではないかと思い、これほどに互いが一緒に感情を開いて向き合ってる、今しかないと私は思ったのでした。
今更だけど、すっごくやりたくないことですが、私は本気で母に負けを宣言しました。
4年ほど前に勇気を出して、母と初めてハグをしたときは、愛を少しも感じられず失敗感でいっぱいでした。
今回も私はためらいながらも、やりたくないことでしたが言いました。
私は弱い、私はちっぽけだ、私は自信がないのだと伝えました。
「お母さん、昨日は言いすぎてごめんなさい。こんなおばさんになってもまだ、自分に自信がなくて弱い自分があるの…」と自分の胸の内を話していきました。。
母が力強くギュっと私を抱きしめてくれました。こんなに母にしっかりと抱きしめられたのはいつぶりなのだろう?この数年で母はより小さくなり、母の肩が私の顔の随分下の方になっていました。
本当の母の愛情が、ぬくもりが愛の強さが私の身体に染み込んできました。
母が声を震わせながら言いました。
「貴方はよく頑張ってきた。お母さんを助けてくれてありがとう。」
母が言ってる途中でおいおい泣き始めました。
普段は絶対にそんなふうに泣いてる姿を家族にも見せない母でした。お母さんは口が下手だから、うまく話せないからといってごまかして、感情を切ってどこかへいってしまう母でした。
そんな母が泣くものだから、私はもう大号泣でした。
互いの身体に涙と鼻水がいっぱい落ちましたが、母はずっと抱きしめてくれました。
深く刻まれていた互いの傷を超えて、愛で繋がれたことは、ただただとても嬉しいです。
カウンセラーという仕事をさせていただくようになっても、まだ癒し足りない部分もあるのも気付いてました。しかし、やっと私は母と罪悪感同盟でなく、愛で心が繋がれたと感じます。
父の認知症のおかげで、また家族と向き合えてよかったと今はしみじみ思います。
私達家族が愛を感じるようになれるまで、ここに至るまで決して簡単な道のりではありませんでした。私たちは何度も失敗をして、罪悪感に入り込み、真っ暗闇に入り苦しんできました。
私は家族の問題で苦しんでる方に諦めないで、希望を抱いて幸せになってほしいと思っています。
家族の問題は身近だからこそ、優しさがあるからこそ、心の距離をとるのがとても難しいです。
でもだからこそ第三者にサポートさせてもらえたら嬉しいです。
ご相談をお待ちしています。